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旧中山道で碓氷峠を越える(乗車率5%)



●序文

2020年11月28日、天候晴れ。
高崎から碓氷峠を越えて軽井沢までサイクリング?した。
碓氷峠は国道18号で通り抜けるのが早いが今回は旧道を使った。
小径車で落葉多いダートを乗れるわけもなく、8kmのトレッキングコースはほぼ担ぎ上げとなった。

●経路・行程概説

 ・地図データ記録無し
 ・自転車で40kmくらい、歩きで8kmくらい移動。

[道路名称]

  • スタート:JR高崎駅
  • 国道18号~横川周辺
  • 上州路碓氷峠越えのみち~軽井沢
  • 国道18号~信濃国分寺
  • ゴール:JR信濃国分寺駅

●行程記録

●[輪] JR高崎駅スタート、国道18号で横川方面へ

当日はスタートの高崎駅まで輪行。
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ダルマ弁当の高崎駅から、釜飯弁当の横川駅へ向かう。


[輪] 国道18号から上州路碓氷峠越えの道へ

自転車で碓氷峠越えは国道18号で何度も走っている。
今日は趣向を変えて旧街道のトレッキングコースを行った。
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ここ最近、ヒト科にはCOVID-19が流行っているが、豚にはCSF(豚コレラ)が流行っている。
家畜疾病防止用の消毒剤をタイヤと靴にまぶしてコースに入る。

横川側の国道18号入り口から峠まではおよそ8km。
階段含む登山道ゆえに、小径車が乗れる場所はほぼ無し。
自転車は手回り品(12kg)として担ぐはめになり、じきに肩は死んだ。


[歩] 旧中山道:上州路碓氷峠越えの道を行く

●入り口~堂峰番所跡

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中山道をはさんで定附同心の住宅が二軒あった。
関門は両方の谷がせまっている場所をさらに掘り切って、道幅だけとした場所に設置された。
現在でも門の土台石やその地形が石垣と共に残されている。

●堂峰番所跡~柱状節理

堂峰番所跡を出た辺りで急坂が続いた。
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柱状節理の石が露呈する場所でさっそく休憩。
重心バランスが低い小径車は担ぎに向かないと悟った。

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柱状節理
火成岩が冷却・固結するとき、き裂を生じ、自然に四角または六角の柱状に割れたものである。
自然界でも四角・六角の規格割れはあるんだなあ。
工具界には六角・トルクス等の規格割れを統一してほしい。

●刎石坂の石碑

柱状節理から進むと、石碑が転がっている場所に出た。
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刎石坂には多くの石造物があって、碓氷峠で一番の難所である。
むかし、芭蕉句碑もここにあったが、いまは坂本宿の上木戸に移されている。
(今は)南無阿弥陀仏、大日碑、馬頭観世音がある。
そういえば、横川近くの町に芭蕉句碑があったな。
”ひとつ脱いて うしろにおひぬ 衣かへ” 芭蕉
古人の句にならい、難所の坂で汗をかいたので上着を変えた。


●覗 (坂本宿ビューポイント)

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坂本宿を見下ろせる場所で山梨の老木がある。
(小林)一茶は「坂本や 袂の下の 夕ひばり」と詠んだ。
今は国道18号と長野・上越新幹線の高架がよく見える。


●風穴 (天然式加湿器)

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刎石溶岩のさけめから、水蒸気で湿った風が吹き出している穴が数ヵ所ある。
手をかざすと、確かに暖かい湿った空気が流れていた。
眼鏡をかざすと曇る程度に加湿力?が強い。


●弘法の井戸

天然ヒータの先には古い井戸があった。
こちらもまだ現役のようで空井戸ではないようだ。
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弘法大師から、このところを掘れば、水が湧き出すと教えられ、
水不足に悩む村人は大いに喜び、「弘法の井戸」と名付けたという。
大師由来の水や温泉は日本各地に千か所を越えるという。
やはり悟りを開いた人間は山師的観察眼にも優れていたんだな。
今の時代に生まれたら油田やレアアース開発に多大な貢献ができたのでは?
不慳貪な輩には何も教えないだろう。


●四軒茶屋跡

今のトレッキングコース上にコンビニは無い。
かつては茶屋が四店舗あったようだ。
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横川で買った力餅。ここで茶屋(跡地)で食べよう。
刎(はね)石山の頂上で昔ここに四軒の茶屋があった屋敷跡である。
今でも石垣がのこっている。
(力餅・わらび餅などが名物であった。)



●碓氷坂の番所跡で休憩

担ぎ上げが予想以上に疲れるので東屋で再度休憩。
小径車で来たことを早々後悔。乗れば杉枝を巻き込み、泥除けが速攻で破損する。
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碓井の坂に関所を設けたといわれる場所と思われる。
自信のない案内板書き方が正直で大変よろしい。
wikipwdiaで時々みる”いつ?”、”誰が?”、”要出典”とか注釈がつくやつだな。


●深い落葉のトレイルを行く(担ぎor押し移動)

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20inch-451のリムが完全に埋もれる程度に落葉が深い。
あわよくば少しは乗れるかな?と思ったけど、これは無理だな。


●堀り切り

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天正十八年(1590)、豊臣秀吉の小田状攻めで、
北陸・信州軍を、松井田城主大尊寺駿河守が防戦しようとした場所で、
道は狭く両側が掘り切られている。
日本の城郭建築にも言えるが、先人の地の利を得るための工夫や土木技術には関心する。
こんな山奥で土木作業を行った人夫もすごい。


●南&北向馬頭観世音

昔のオートモビル(馬)にとって危険・難所に置かれる馬頭観世音。
今でいう「落石注意」「急勾配注意」「警笛ならせ」の看板みたいなものか。
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South-hayagrīva
寛政三年(1772) 坂本宿 施主七之助
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North-hayagrīva
文化十五年(1818) 信州善行寺 施主 内山庄左衛門
馬頭観世音のあるところは危険な場所である。
昔、この付近は山賊が出たところと言われ、険しい場所を過ぎると左手が岩場となる。



●入道くぼ

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馬頭観世音の像
インド、チベット、日本の仏教でそれぞれ姿が異なる。
神ならば姿を変えるなど造作もないのだろう。
山中茶屋の入り口に線刻の馬頭観音がある。
これから、まごめ坂といって赤土のだらだら下りの道となる。
鳥が鳴き、林の美しさが感じられる。



●山中茶屋跡

峠の手前、徳川時代の国道18号?サービスエリア跡地があった。
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山中小屋は峠のまんなかにある茶屋で、
慶安年中(1648~)に峠町の人が川水をくみ上げるところに茶屋を開いた。
寛文二年(1662)には十三軒の立場茶屋ができ、寺もあって茶屋本陣には上段の間が二か所あった。
明治の頃小学校もできたが、現在は屋敷跡、墓の石塔、畑跡が残っている。



●陣場が原

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太平記に新田方と足利方の碓氷峠合戦が記され、
戦国時代、武田方と上杉方の碓氷峠合戦記がある。
笹沢から子持山の間は萱野原でここが古戦場といわれている。
室町・戦国時代、動乱の時代にも碓氷峠は縁があったようだ。
掘り返せば草生す屍が見つかるかもしれないな。


●碓氷貞兼霊社

相模国(神奈川)出身の武将、碓氷貞光の父を祀る社。
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平安時代に京都で源頼光に使えた四天王の一人、碓氷貞兼の父をまつる。
しかし、貞光の”碓氷”は足柄の”碓氷”のはず、
ここ信濃-上野の碓氷峠とは、名前繋がりでまつられているだけかな?
それとも父親は上州出身だったのか。
息子貞光の実在は真偽不明だが、調べてみると何かと伝説の多い伝説の人物だ。
  • 【碓氷貞光伝説】
  • 碓氷峠(神奈川の足柄)の大蛇を退治
  • 足柄の山で金太郎をスカウト(グルカ兵式リクルート活動)
  • 源頼光&金太郎(坂田金時)らと大江山で酒呑童子を討伐



●思婦石(おもふいし)

おもふいし。"しのぶいし"とも読めるこの岩は日本神話の一説に由来するものらしい。
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群馬郡室田の国学者、関橋守の作で、安政四年(1857)の建立である。
ありし代に かへりみしてふ 碓氷山 今も恋しき 吾妻路のそら
ヤマトタケルの尊が亡くなった妻を偲ぶという意味らしい。
現在の長野県歌の一説にも、同じようなフレーズがある。
吾妻はやとし日本武(にほんたけ) 嘆き給いし碓氷山
(ヤマトタケルの尊は長野に入るとき碓氷山で亡くなった妻のことを思い出して嘆いた)
長野県歌 信濃の国 6番冒頭



●ゴールの碓氷峠 熊野皇大神社

8kmのトレッキングコース、舗装路に出た先の熊野大社でようやくゴール。
3時間以上もかかっている...いやぁ長かったな...
自転車担ぎで肩は完全に死んだ。もうスズメすら乗せる気にならん。
もう陽も暮れかかっているので早く参拝しよう。
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碓氷峠の熊野神社。
賽銭箱が長野県・群馬県用に二つあった。
Youtubeの二重広告よろしく、これは収益性高いなと感心した。



[輪] 碓氷峠展望地へ

旧中山道を歩き終えたので、残りは軽井沢方面へ舗装路で進む。
その前に展望地があるらしいので寄った。
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浅間山には雪雲がかかっている。
強風でここまで雪の粒が舞ってくるのには驚いた。

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こちらは妙義山だろうか。
荒々しい山容、標高こそ低いが登攀難度は見るからに極高。

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群馬と長野の間に沈む太陽。
えらく寒いので僅かでも陽のある内に軽井沢へ行こう。


●碓氷峠から軽井沢を経て信濃国分寺でゴール

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軽井沢から国道18号で上田方面に向かう途中、
リアライトの電池が切れたので信濃国分寺で終了とした。


●跋文

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今回は群馬の高崎から旧中山道で碓氷峠を越えて軽井沢方面へ抜けた。
サイクリングというよりも、旧道を歩き&遺構探訪がメインとなった。
旧道に存在する数ある跡地から、碓氷峠は江戸以前にも数多くの往来があったと知った。
歴史に絡めた旧道、鯖街道や塩街道とかを巡るのも面白いだろうな。
担ぎが絡む場合は小径車ではなくMTBか軽量なロードバイクにしよう。