_DUN6084
隠岐諸島、島前の中ノ島を行く



●序文

2019年5月4日、天候晴れ。
隠岐諸島の中ノ島と知夫里島を午前・午後でそれぞれサイクリングした。
前半に巡った中ノ島は、承久の乱に敗れた後鳥羽状況が流された島。
海士町には後鳥羽上皇を祀る隠岐神社と資料館がある。

関連記事

西ノ島サイクリング
中ノ島サイクリング
知夫里島サイクリング
島後一周サイクリング


●経路・行程概説


経路総長:43km
・スタート:明屋キャンプ場
・県道317号~天川の水
・県道318号~木路ヶ埼灯台
・県道318号~隠岐神社
・隠岐神社 / 後鳥羽院記念館 見物
・ゴール:菱浦港

●行程記録

5月3日の夕方、西ノ島から内航船で中ノ島に移動。
日没前に隠岐神社に寄った後、明屋キャンプ場に移動して就寝。
翌朝の午前中に中ノ島を周遊・後鳥羽院記念館を見物。
午後から知夫里島をサイクリング。

●後鳥羽天皇を祀る隠岐神社

鎌倉時代、クーデターを画策した皇室(朝廷)が政府(幕府)と承久の乱で争った。
結果は朝廷の敗北。首謀者の後鳥羽天皇は隠岐に流され、残る生涯を過ごしたという。
_DUN6021
_DUN6036
_DUN6032
"人もをし 人も恨めし あぢきなく 世を思ふ故に もの思ふ身は"
承久の乱敗北時に後鳥羽院が詠んだとされる歌。未練が強い。
もし承久の乱に勝っていたらどんな歌を詠んだのだろうか。

_DUN6027
”我こそは 新島守よ 隠岐の海の 荒き波風 心して吹け”
後鳥羽院が隠岐上陸時に詠んだとされる歌。
何というか、 新世界の神になる!的な、タカ派?な感じだな。
安達吟光の描く初代天皇之図もバリバリの武人だし、時代によって天皇のイメージは変わる。

●明屋キャンプ場に泊まる

隠岐神社で上陸の挨拶を終えた後、キャンプ場に向かった。
_DUN6039
IMG_4292
海岸にある明屋キャンプ場。日本が誇る最新鋭のトイレを備えていて感動した。
東屋ベンチが空いていたので今日もテントは張らずに眠った。

IMG_4298
光害の少ない隠岐諸島は星が良く見えた。
海風が涼しかったのでシュラフに包まって就寝。

●明屋キャンプ場を出発

翌朝、5時過ぎにキャンプ場を撤収してスタート。
_DUN6485
_DUN6045
明け方の空気は結構涼しい。シュラフに包まって正解だったな。

●県道317号で知々井方面へ南下

島の南端にある灯台を目指して移動。
昨日に続いて今日もカラッと晴れ渡った。
_DUN6046
_DUN6048
放牧?されているニワトリ
動きはかなり俊敏。近づいたらニワトリの攻撃的な一面を知った。

●天川の水で水分補給

海士町の清水寺にある湧き水に寄った。
一日に400tもの湧水量があるという。小さい島だが地形が山がちだからかな?
_DUN6051
_DUN6061
_DUN6059
地元のおばあさんがポリタンクを持って水を汲みに来ていた。
生活用水として利用されているようだ。
自分もボトルに充填して再スタート。


●中ノ島 南端の木路ヶ埼灯台

島の端にある木路ヶ埼灯台への道は、左右に海が見える気持ちの良い景色だった。
_DUN6083
_DUN6075
円陣の先に木路ヶ埼灯台
朝早いので誰もいないが、茂みからガサガサと音がした。

_DUN6078
中ノ島にも放牧されている馬がいた。
まだ体躯が小さいので若い馬なのかな。近くにぬっと親馬が現れてビビった。

●県道318号 日ノ津埼港線

灯台への一本道を戻って島の西側を行く。
_DUN6081
_DUN6065
_DUN6085
西ノ島と同じく、面積は小さくとも起伏があって良い運動になる。
やっぱり景色は高い所から見るのが良いな。

●後鳥羽上皇 行在所跡&御火葬場

中ノ島は小さいので9時前に概ね一回りしてしまった。
午後に回る知夫里島の内航船出港まで、後鳥羽院の家と焼場を見物していった。
_DUN6117
後鳥羽上皇の家&火葬場の全景。
隠岐神社の境内横にほとんどが揃っている。

_DUN6107
行在所跡。今でいうと赤坂御所みたいなものか。

_DUN6100
御火葬場。
クーデターに失敗後、隠岐に流され、ついに本土に戻ることは叶わなかった。
それでも歌を詠んだり刀を打ったりと趣味人として精力的に過ごしていた。

●隠岐神社境内

昨日の夕方に寄った隠岐神社をもう一度参拝。
_DUN6109
_DUN6113
_DUN6112
宝物館の中には神輿がある。隠岐で唯一の校倉造りだとか。

_DUN6115
神社を参拝後、まだ時間があるので後鳥羽院資料館へ寄った。


●後鳥羽院資料館

神社の対面にある後鳥羽院資料館。
_DUN6124
写真に撮れなかったが展示物は色々あって楽しめた。
・後鳥羽院直筆の書簡と現代訳:なかなか人間臭い記述で面白い。
・遠島百首:隠岐に来てから詠んだ歌で作られた百首のカルタ

_DUN6123
伝統的な天皇後継儀式には三種の神器(鏡・勾玉・宝剣)が必要らしい。
だが後鳥羽院が即位する前、宝剣は壇之浦の海に沈んだ。(天叢雲剣水没説)
沈んだ宝剣はついに見つからず、後鳥羽院はかなり不満だったらしい。

それの影響か、資料館の2階には後鳥羽院の刀剣コレクションがあった。
刀工を隠岐に呼んだり、自らが刀を打つくらいの刀好きだったようだ。
現皇室にも続く十六条の菊紋章は後鳥羽院が刀に付けた意匠が始まりだという。

主観だが、隠岐に流されても趣味人として理想的な生活を謳歌していたように見えた。


●菱浦港 内航船乗り場

資料館を見物後は内航船の乗り場、菱浦港へ向かった。
IMG_4309
IMG_4308
舟を待つ間、切符売り場横の土産屋で弁当を買って食べる。
海に囲まれた隠岐は海産物がとにかく美味い。

●内航船で知夫里島へ向かう

食後は内航船に乗って知夫里島の来居港へ移動。
内航船は小回りが利いて早い、そしてしぶきが結構かかる。
IMG_4312
IMG_4315
波しぶきを浴びながら隠岐銘菓の”白浪”を食べる。
落雁のような素朴な糖菓子。喉が渇くのでお茶請けに良いだろうな。

●跋文

IMG_4304
隠岐諸島の2つ目に、島前の中ノ島をサイクリングした。
一周しても50kmほどの小さな島だがアップダウン多く、景色は変化に富む。
隠岐に流された後鳥羽天皇の神社・資料館を巡るのも面白い。
島の素朴な雰囲気は今も昔もあまり変わらないように思える。

関連記事

西ノ島サイクリング
中ノ島サイクリング
知夫里島サイクリング
島後一周サイクリング