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BRM716宮城600km,宮城フラット栗駒石巻,道中記その四。



●序文

2016年7月16日,ランドヌール宮城主催の600kmブルべに参加した。
PC3釜石から三陸沿岸を進み,PC4気仙沼本吉までの行程を以下に記録する。

●経路概説


第四区間は,PC3の釜石からPC4の気仙沼本吉まで距離95kmほど。リアス沿岸を行くので累積標高は1,600mくらい。栗駒山を含む第一区間に次いでよく登る。

第一区間はガツンと一回登るクライマーコースに対し,今回の第四区間は細かい起伏が延々続くパンチャーコース。脚質によって,好き嫌いが分かれるだろう。

今回のブルべ,よほど足が速い人でない限りは,三陸沿岸でナイトランを迎えるはず。沿岸部は市街地を越えると,途端に街頭が少なくなり,真っ暗闇になる。急こう配の下りもあるので,強力な灯火が必要か。

●行程記録

 

・鐵の町,釜石を抜ける

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釜石に来るのもこれで5回目くらいか。いずれも自転車で,到着時点でいつも疲労困憊なのがデフォルトになりつつある。今度はのんびり観光にでも来たいものだ。

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ライトアップ?されている工場。こういうの見ると心が躍る。そして写真がぶれる。
自転車で有酸素運動して,写真でじっと構えるって何気に難しい。たぶんバイアスロン競技ってこんな感じなのだろう。

釜石のPCから,4人同時にスタート。最初は列車になってたけど,鉄の記念館あたりの登りで自分が先行して,連結から離れた。すみません,仮眠時間のために先を行きます。

 

・三陸沿岸のナイトライド

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去年は雨に見舞われた三陸沿岸のナイトラン。今年は路面状況がドライなので,下りでもそこそこ巡行を上げられた。登り12km/h前後,下り40km/hくらい。均しで巡行26km/h。

だが平地巡行は25km/h。やっぱり起伏があるほうが平均巡行が上がるのか?

いずれガーミン520J買って自分の巡行速度を監視してみよう。しかし,自分の走り方だとルート外れまくって,まともに走行ルート管理できる気がしない...

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釜石から三陸沿岸のルートは,50~100mくらいの丘越えが5個ぐらい続く。その準備運動の後,最も高い三陸峠を300mくらい登る。まあ,その後も登るけどな。要は牡鹿半島抜けるまでアップダウンが続くってわけだ。

 

・道の駅”三陸”で応援者現る

真っ暗闇のナイトランで少し眠たくなってきたので,三陸峠の手前にある道の駅”三陸”でコーラを一気飲みしてリフレッシュ。ここでは仮眠をしている人がいたので,起こさないように静かに出発。

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もうすぐで三陸トンネルだなあ,という所で見覚えのある車が止まっている。Oさんが出てきて応援を受ける。こんな夜中にありがとうございます!Oさんは一関から輪行して,車でコースを移動して参加者の応援に回られていた。

この後,湯処まつばらで仮眠するので焦ってたり,眠かったりで,あまりお話しできませんでしたが,Oさん,本当に応援ありがとうございました!

 

・睡魔に誘われる

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道の駅から三陸峠の登りを黙々と登って頂上の三陸トンネルに到着。
一息ついて,ボトルの水を飲んでケージに戻そうとすると,「スカッ」と空にボトルをさしていた。

「やばい,眠気にやられかけている...」と実感。登りが終わって気が抜けると眠気も同時に現れるようだ。去年の1,000kmでも同じような体験があった。

このまま走り続けると,いつの間にやら「カクっと」寝落ちる可能性がある。できる限り早く大船渡の湯処まつばらで仮眠をとらないと危ない。

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無事に峠を降りれない場合を考えて,遺影を残しておこう。
それにしても,夜中のテンションだと意味不明なことをよくやるなあ。

三陸トンネルから大船渡まで,10kmほどの長いダウンヒルが続く。今の状況からだと一切気を抜けない。しかしトンネルを行くと黄色のナトリウムランプが安心感というか,眠気を誘う。この状況でぼーっとするのが一番危ない。

眠ってはどうしようもないので,八木節やDriversHighを歌いながら無理やりテンション上げて,大船渡へ下った。誰もいないからできたけど,人に見られたら事案ものだな...視界に市街地の灯りが見えた瞬間から何事もなかったのようにミュート。

大船渡市街で22時を回る。距離的にあと30分ほどで,目当てのスーパー銭湯”湯処まつばら”だ。市街地から登った高台にあるのが幸いだ。というのも自分は登り道では確実に目が醒めるので,仮眠場所まで安全に進める。

 

・寝過ごせない仮眠場所

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22時40分,湯処まつばらに到着。去年はここでタイムアウトしたけど気にしない。
ここで寝なければこの先で確実に事故る。風呂20分,仮眠2時間として1時出発で去年と同じ計画通り。

疲労と眠気で記憶が定かではないけど,到着直前だっただろうか,車でOさんが現れて,出発までご一緒しますよ,とのこと。これならば寝過ごしかけてもOさんに起こしてもらえるので,仮眠所で思いっきり寝入っても大丈夫かな,と思ったが,これはある意味で第三者のサポートと考えられる。

考え方は人によって様々であって良いし,ルールにグレーな部分があって良いと思う。

自分は,ブルべはノーサポート,自力で,法規を遵守して,あらゆる状況下でもコースを時間内に巡る能力を試す,ラリーイベントだと考えている。

Oさんは1時過ぎに出発するとのことだったので,自分は0時55分に起きようと決定。もし,Oさんが出発時点で自分が寝ていたら起こしてくださいとお願いした。この場合は,サポート付きってことになるので,認定は微妙になるが。


まつばらに入ると,去年と同じ,人の良いおじさんが受付をやっていた。このおじさんが去年,営業時間後の2時半まで寝かせてくれたんだよなあ。しかし,その優しさが仇になってしまったと思うと,何とも言えないジレンマが生じる...

ひとまず速攻で風呂に入って23時に仮眠所のソファで寝る。寝る前に缶コーヒーにプロテインを溶かして一気飲み。イヤホン付きのアラームを付けて浅い眠りにつく。30分くらいはうとうとして,1時間くらいは完全に眠れた。0時半には起きたが,床に寝っ転がってだらだら過ごし,0時45分に覚醒。

あまり寝入ってないけど,頭はかなりシャキッとしたので,仮眠としてはまずまずだろう。出発準備をして1時過ぎ,Oさんとまつばらを後にした。Oさん,深夜までわざわざお付き合いいただき,恐れ入ります。

 

・去年の雪辱を果たす

まつばらを出ると,道は下りになり,すぐに陸前高田へ入る。去年は2時半にまつばらを出て,やっちまったなあ,確実にPC4に間に合わない→もういいや,気仙沼から輪行して帰ろう。と完全に糸が切れていたな。

それから一年たって,今年は寝過ごさずに陸前高田を進む。暗闇でよく見えなかったけど,陸前高田にあった土砂運搬用の”希望の架け橋”が消えていたな。堤防のかさ上げ工事が終わったということか。

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2時前に気仙沼に進入。ようやく宮城に帰ってきた。これで残りは300kmくらい。

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気仙沼市街に入る前のトンネル
写真のトンネルは工事中。通るトンネルはこの横にある。

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丑三つ時の気仙沼市街
仮眠した次はやたらと腹が減るので,PC手前のコンビニで3回くらい休憩しては何かを食べた。最初のコンビニでは調子に乗って深夜に唐揚げ食べて胃にダメージがきたので,続くコンビニではヨーグルトとゼリーを補充。

長距離を走るうえで,脚に並んで,もしくは一番重要なのが胃腸の頑丈さだと思う。あとは眠気への耐性か。ショートスリーパーの体質がうらやましい。でもブルべでなければ,こんな時分まで走らないよなあ。

 

・PC4に到着,疲労と眠気そこそこ

メモし忘れたので到着時刻がわからなくなってしまったが,気仙沼市街を2時半に抜けたので,約20km先の本吉は3時半ごろについたはず。

到着すると5人くらいの参加者が疲れた感じで休憩していた。それもそのはず,ここまで山岳,沿岸を含む345kmの道のりを走ってきたのだから。

大船渡で仮眠したとはいえ,連続走行で1時間の仮眠ではそれなりの無理があるのか,休憩してると眠気が現れた。脚もそれなりに疲れているので,コンビニ裏でクローズ時刻の4時くらいまで目をつぶってだらけて過ごした。

次の区間は,牡鹿半島を経て,仙台まで200kmの行程か,PC5のクローズは17時52分,概ね18時だ。200kmをゆとりもって13時間とすると,5時までココPC4のコンビニで眠るのもありだな。と思ったが,ヤブ蚊でくすぐったかったり,痒かったりで眠れない。

ここでは致し方ないと決めて再出発。4時になると,既に夜が白んで明るくなってきた。朝日が出れば眠気も和らぐかな,と淡い希望をもって進み出す。

以下次号